陶の花〜第一便〜

 きっと誰にも幼い頃に思い描いた夢の一つや二つはある。いや、夢というほど大袈裟なものではなくても、「きっと大人になったらできるかもしれない」とぼんやりと思っていたようなものが。プロ野球選手になるとか、ケーキ屋さんになるとか、そんな類のものの一つや二つが。

 やがて誰もが「大人」と呼ばれる風体になっていく頃、いつの間にかそんな想念は徐々に姿を薄めていくようにもなる。

 しかし、職業としてのそれではなく、「こんなことをやって見たい」という幼い頃の漠然とした夢は記憶として残り続けて、「大人」になってどのような仕事をするようになったとしても、どこかで人生に影響を及ぼし続けているのではないか。そう感じる時がある。

 幼い私にとってのそれは「世界中のあらゆる国と、日本の47都道府県を旅して見たい」という漠然としたものだった。
これはたとえ私がどんな仕事をしていたとしても、持ち続けることのできる夢の記憶だと、今でも思っている。

 ひょっとすると全世界の国々は難しいかもしれないが、47都道府県であれば生きているうちにその夢を叶えられるかもしれない。そして幸いなことにその夢の記憶がまもなく現実のものになろうともしている。

 私ははじめて山口県へと旅をしようとしている。
山口県を旅すると、日本で未旅の都道府県は残り2つになる。
もちろん旅において大切なのは「目的地に行く」ことではなく、そこに吹く風を、流れる水を、降り注ぐ光を、生きる人々をどう感受するのかということなのだけれど。

 そんなことに思い巡らせながら、私は今、早朝の羽田空港の第一ターミナル2番ゲート近くのソファーに座っている。
薄いコーヒーを飲んで搭乗ゲートが開くのを待っている。
旅に出る前のなんということもないこの瞬間が、妙に美味しい時間なのだ。

田中 孝幸

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うつわの秋について

萩焼と温泉街の歴史
山口県長門市深川湯本には、約370年の歴史をもつ萩焼の窯元集落「三ノ瀬」があります。萩焼は16世紀末、毛利輝元公が朝鮮陶工を招いたことに始まり、茶道の世界で「一楽・二萩・三唐津」と称されるほど古くから愛されてきました。隣り合う長門湯本温泉も600年の歴史を誇りますが、長い歴史を持ちながらも、萩焼と温泉が一緒に何かをつくり上げる機会は、これまでほとんどありませんでした。

その転機となったのが2016年の温泉街マスタープランです。「文化体験」を温泉街の核に据える構想の中で、深川萩が地域を代表する文化として位置づけられました。旅館と窯元の若い世代が歩み寄り、ギャラリーカフェの運営を通じて対話と信頼を育み始めたのです。

「うつわの秋」のはじまり
2020年、新型コロナ禍で旅館も作家も活動の場を失った時期に、萩焼作家から「温泉街で萩焼を見てもらう機会を」との声が上がりました。これをきっかけに誕生したのが「うつわの秋」です。深川萩の全ての窯元と作家が一堂に会し、温泉街の中心・恩湯休憩室で展示を行うという、歴史上初めての試みでした。

「うつわの秋」は単なる展示会ではありません。旅人はカフェや宿で萩焼に触れ、やがて窯元を訪ねる。地域の人は日常に器を取り入れながら、お気に入りを探す。旅館スタッフも作家から学び、その経験を日々のおもてなしに生かしています。器を通じて、旅人・暮らす人・働く人が交わり、日常と旅が自然に結びつき、この場所ならではの体験が育まれていきます。

未来へつなぐ文化体験

かつて茶道が生活に根付いていた時代、人々は器を通じて文化に親しみました。現代ではその習慣は薄れましたが、代わりに「どんな人が、どんな場所でつくられたものか」に価値を見出す人が増えています。温泉地もまた、画一的な非日常ではなく、その土地ならではの文化体験を求める旅人が増えています。「うつわの秋」は、そうした新しい旅のかたちに応える営みでもあります。

伝統をただ守るのではなく、時代に合わせて表現を創造し続けること。その営みのひとつの姿が「うつわの秋」です。器を手にとり、触れ、使う。その体験が地域の文化を未来へとつなぎ、長門湯本温泉の秋を彩っていきます。